学科Ⅰ(計画)
一級建築士 令和4年度 学科Ⅰ(計画) 問2
問題・正答・学習用解説
問題
都市計画に関する次の記述のうち、最も不適当なものはどれか。選択肢
正答と解説
正答:(3)
正答の考え方
正解は(3)です。エンデ・ベックマン建築事務所が明治時代に関わったのは「官庁集中計画」であり、関東大震災後の「帝都復興計画」ではありません。官庁集中計画は、近代国家の中心となる官庁や街路を東京に整える構想です。1886年にベックマンが来日して広い範囲の街路や官庁配置を提案し、その後、規模が縮小されました。大きな道路や広場を組み合わせる説明と計画名の対応を取り違えています。
一方、帝都復興計画は1923年の関東大震災による被害からの復興を背景とし、道路、公園、区画の整備などを進めるものです。近代的な首都の中心をつくる計画と、大災害を受けた都市を再建する計画では、出発点が異なります。年代を丸暗記するだけでなく、「何の問題に応える計画か」を考えると区別できます。平安京は格子と中心軸による都の構成、江戸は地形と水辺を利用した城下町、東京計画1960は過度な都心集中に対する東京湾方向への拡張構想です。四者を同じ時代の実施計画として混ぜないことが大切です。
各選択肢の解説
選択肢1
(1)適当です。条坊制は、南北と東西の道路を格子状に組んで土地を区分する方式です。平安京では南北の朱雀大路が大きな中心軸となり、東西の市街地を分けました。右京・左京の左右は、北側にいる天皇が南を向く向きで捉えるため、北を上にした地図では右京が西、左京が東になります。今の地図を見る人の左右と逆になる点に注意します。格子の街路と象徴的な中心軸を重ねた都市の構成です。
選択肢2
(2)適当です。江戸には台地、谷、低地、水面があり、それぞれの地形を利用して城下町を広げました。城の周囲で堀を掘り、海側を埋め立て、屋敷や町人地を配置しています。道路や町割を一律の格子だけで説明できないのは、起伏や水辺が土地の使い方に強く影響したためです。堀は防御だけでなく都市の水路とも関係します。設問は山の手の尾根筋と谷筋の用途の違いに着目しており、地形対応型の開発として妥当です。
選択肢3
(3)不適当です。明治の官庁集中計画と、関東大震災後の帝都復興計画を取り違えています。エンデ・ベックマンによる提案は、官庁、停車場、大街路、広場などを組み合わせ、首都の中心を近代的に整える構想でした。官庁集中とは、行政の施設をまとまった場所に配置する意味です。帝都復興は震災からの再建が背景であり、同じ東京を対象とする都市計画でも、目的、時期、関係者を組にして区別する必要があります。
選択肢4
(4)適当です。求心・放射型とは、交通や機能が一つの中心へ集まり、そこから放射状に広がる都市の形です。中心へ向かう流れが増え続けると、その部分が混雑し、拡張しにくくなります。東京計画1960は、東京湾方向に都市軸を伸ばし、その軸に沿って都市機能を拡大する構想です。枝分かれする一つの中心だけでなく、伸びる幹に機能をつなぐ姿を考えると理解できます。提案された構想であり、その全体が実現したという意味ではありません。
周辺知識
都市計画を読むときは、平面の模様に加え、地形、交通、社会的な目的を結び付けます。格子状の街路は場所を区分しやすく、道順も整理しやすい一方、坂や河川にそのまま当てはめると無理が生じます。江戸のような地形に応じた道や水路は、一見不規則でも土地の条件に対する理由を持ちます。
道路の大きな軸は、移動のためだけでなく、都市の中心を象徴する役割もあります。朱雀大路や官庁街の大街路は、重要な施設と街全体の関係を見せます。これに対し、東京計画1960では、巨大化する都市の機能と交通をどう拡張可能にするかが重要な課題です。同じ「軸」でも、象徴、交通、成長の方向という複数の意味があります。
歴史問題では、構想図、実施された部分、その後の改変を分けます。壮大な提案の全部が完成したと考えると、実際の街との違いを理解できません。「いつ、誰が、何を解決するために、どのような形を提案したか」の順で説明できれば、名称だけを交換した選択肢にも気付けます。